広重「鞠子宿」原典と翻画「鞠子の樹」対比写真、弥次喜多の日常

浮世絵「鞠子宿」の弥次喜多と鞠子の樹|知らん顔で啜(すす)る、もう一つの裏話

東海道・鞠子宿の日常 知らん顔でとろろ汁を啜る二人

弥次喜多の軽薄さと、翻画に刻まれた日常

「いやぁ〜、鞠子のとろろ汁、最高だねぇ喜多さん!」 「全くだよ弥次さん、この粘り、この喉越し! 旅の疲れも吹っ飛ぶってもんだ!」

……ってな具合に、今日も今日とて食い気に全振りの二人。 見てやってくださいよ、この食いっぷり。

実は原作じゃあ、夫婦喧嘩に巻き込まれて一口も食えずに追い出された二人ですが……。翻板の上では、そんな「ドジ」すらどこ吹く風。
背後で「母子の生別」だの「宿命の闇」だの「鞠子の樹の気勢」だのがバチバチに渦巻いてるってのに、この二人ときたら……完ッ全に知らん顔!!

まさに「日常の極北」。

彼らの眼裏に映ってるのは「次の箸休め、何にしようかな?」ってなもんですよ。


宇津ノ谷峠という「分水嶺」を前にした、情念と未練

おまけにこの先は、あの宇津ノ谷峠。水が分かれ、旅人の運命が二つに分かれる「分水嶺」が待ち構えてるってのに、二人の関心は「峠の茶屋の団子はどうか」ってな一点のみ!

もう一人の旅人が「戻れぬ覚悟」で一歩を踏み出すその横で、「おっと弥次さん、とろろが髭についてるぜ」「おっといけねえ、これもまた一興!」なんて、分水嶺の重みをズルズルと啜り倒しちまう。

宿命に背を向け、ただひたすらに「今、この瞬間」の旨さを噛みしめる。 ある意味、これこそが最強の生き方なのかもしれない……

とろろの粘りよりも執念深い、鞠子の樹の氣勢

だが、そのズルズルという啜り音のすぐ後ろで、鞠子の樹の枝先は、今も鋭く母子の方を向いている。

「あれは、とろろの粘りよりも執念深い、「分水嶺」を越えられぬ者の未練そのものかもしれませんぜ。」

食えなかったはずの奴らが、ここでは啜っている・・もう一つの裏話


弥次喜多の日常とシリアスな旅立ち
弥次喜多さんとシリアスな旅立ち


【弥次さん、ちょっと寄り道していかねえか?】

とろろ汁を食って腹が膨らんだら、次は駿河の絶景巡りと洒落込もうぜ。 かく丸の旦那が沈黙の黒に放り置いた**「鞠子の樹 連なる駿河三景」**。 「鞠子の樹」だけじゃねえ、駿河の闇と光が連なるこの景色……。 ちょっとこいつを拝んでいきな。

→ [鞠子の樹 連なる駿河三景を覗く] 

 

【おっと、これ以上は「裏」の話だ……】

なぜあの樹はあんなに捻じれ、弥次喜多の二人はなぜあんなに知らん顔なのか。 漆黒の印画に刻まれたこの制作裏話を読んでみろ。かく丸の旦那の「趣向」が書いてあるぜ……。

→ [弥次喜多さんと鞠子の樹:裏話はこちら]

 

©鞠子の樹|kakumaru7

 

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